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日産モータースポーツエキシビジョン Vol.2 [クルマ&バイクヲタクの世界]

すっかり遅くなってしまいましたが、今回は歴代スカイラインを一挙大公開!


まずは初代スカイラインから。



ALSI-1のデビューは1957年4月。G1型1484ccOHV4気筒エンジンを搭載し、
スタンダード(ALSIS-1)とデラックス(ALSID-1)の2グレード構成でした。

さすがにこの年式になると判別方法すら曖昧なのですが、サイドモールとグリルから
するとコイツはデラックスかな?デラックスはホワイトリボンタイヤが標準だった様なの
ですが、とにかくこんなコンディションの良いALSI-1はこれ1台でしょう。

当日ボンネットを開ける事は出来ませんでしたが、ALSI-1のコーションプレートには
上側に『プリンス』・下側に『富士精密工業』と書かれているそうな。

生産工場はまだスカイラインの聖地『村山』では無く、旧中島飛行機の工場だった
『荻窪』です。

スカイラインのルーツである事に間違いはありませんが、ワタシ達が頭の中に思い描く
スカイラインとは、ちょっと違う印象を持つクルマですよね。





続いては2代目スカイライン。



1963年9月。スカイラインはS50型にモデルチェンジを行います。
この型のトピックスと言えば、日本車で初めて実現した『メンテナンスフリー』。シャシー各部
への定期的なグリスアップが常識だった当時としては、1年間3万キロノーグリスやシリンダ
ヘッドへの封印はさぞかし先進的だった事でしょう。

そしてS50といえば、何と言っても『GT』の登場でしょう。容姿からも判る通りスカイラインと
いうクルマは思い切りファミリーカーだったのですが、GTの登場によってイメージは一気に
変わります。



こちらは新港埠頭に展示されていた2000GT。第2回日本GPの砂子車ですね。
これが本物なのかレプリカなのかが判らない・・・。誰かご存知じゃないですかー(涙)


▼スカイラインGT誕生と活躍のお話は過去の記事を読んで頂くとして・・・
http://blog.so-net.ne.jp/camel-ryo/2006-05-24


せっかく実車があるので、今回は1500ccと2000ccのフェンダーを比較してみるテスト!

  

看板が邪魔でゴメンなさい!!!

今でこそ200mm長いGTのフェンダーが普通に見えてしまいますが、1500を見慣れた
当時の人達からしてみれば変テコリンなクルマだったんでしょうねぇ(笑)

S50生産中の66年8月、プリンスは日産自動車に吸収合併される事になります。





そして68年7月。『ハコスカ』の愛称でお馴染みのC10スカイラインの登場です。


これってショートボディの1500ですよねぇ。せめてGT飾れば良いのに(笑)
9月に6気筒エンジン搭載のGTが追加され、お馴染みGT-Rの追加は翌69年2月。

GT-Rについても過去の記事をご参照頂きましょう!

▼GT-R誕生編はコチラで
http://blog.so-net.ne.jp/camel-ryo/2006-05-24-1

▼伝説の50勝編はコチラ
http://blog.so-net.ne.jp/camel-ryo/2006-06-08

このC10型でスカイラインはサーキットのイメージを確立します。

結局KPGC10は69年から72年までサーキットで活躍し、通算54勝という大記録を残し
ますが、軽量ハイパワーのサバンナに破れ、サーキットからその姿を消してしまいます。





72年9月。C110型、通称『ケンメリ』へのモデルチェンジです。

先代と同じく1500ccが先行して発売され、2000ccの後GT-Rが追加となります。



悲劇のケンメリGT-R(KPGC110)です。

ハコスカGT-R(KPGC10)とエンジン同じエンジンにも関わらず、ボディ・ホイールベース
は肥大化し、当然車両重量も増加。国産初の4輪ディスクブレーキ採用等の成長はあった
ものの、ハコスカが敵わなかったサバンナに勝てる見込みは無いに等しく、結局サーキット
を走る事は1度も無いまま、排ガス規制に押されたKPGC110は僅か197台生産された
だけで、第1期GT-Rの歴史に終止符を打ちます。

元々設計時からレース参戦は考慮されていなかったのか、ハコスカが100Lの専用燃料
タンクを積んでいたのに対して、ケンメリは基準車と同じ55L。真相は不明ですが『日産
社内に残っていたS20エンジンを処理するために生産された』という噂も頷けますね。

C110型は4年11ヶ月のロングランとなり、64万台というスカイライン史上最高の販売
台数を残すこととなりました。





77年8月。4代目のC210型『ジャパン』が登場。



普通飾るのなら前期型のシルバーか、後期2ドアのターボだろうに(笑)
シブい色の後期型2000GT-EX。これまた不気味なぐらいキレイ・・・。

ジャパンでは最小エンジンを1600ccに拡大。1600・1800が『TI』シリーズとして
6気筒搭載のGT系と明確に差別化されます。ただ世の中は排ガス規制の真っ只中。
走りのスカイラインとてパワーに走っている余裕など無く、大人しくならざるを得なかった
結果、某社からは『名ばかりのGTは道を譲る』などと罵られる事になってしまいました。

80年4月に2000GTにターボが追加され、久々に速いスカイラインが復活します。
ギャレット・エアリサーチ社製T03タービンを組み込みグロス145psを発生するも、
モータースポーツそのものが衰退していた背景もあり、結局ジャパンもレースシーン
への復活は叶いませんでした・・・。





そして81年8月。型式も新たにR30型となった6代目が登場。
当時はまだ『アールサンマル』とは呼ばれておらず、『ニューマンスカイライン』が愛称
でした。ポール・ニューマンがイメージキャラクターでしたね。なぜかこの頃の日産は
外国人俳優をイメージキャラクターにしておりました。『ジャック・ニクラウスバージョン』
って一体ドコらへんがジャック・ニクラウスだったんでしょうかね(笑)
良く考えたら俳優じゃなくてプロゴルファーだし・・・。

R30は今までのスカイラインからすると、ちょっと異端児でした。
S50から続いていた4気筒(TI系)・6気筒(GT系)でのホイールベース差も無くなり、伝統
だったサーフィンラインも無し。C10以降2ドアクーペ・4ドアセダン・バンの構成だったボディ
に5ドアハッチバックが追加されたりと、とにかく今までと比べると変化の多いモデルでした。
余談ですが、日本で初めてテンパータイプのスペアタイヤを採用したのはR30の5ドアハッチ
だったそうな。緑だの黄色だの不思議な色がいっぱい設定されてて、『変なクルマ』という印象
を持たれがちな5ドアハッチでしたが、意外にも案外真面目にラゲッジスペースを確保する努力
をしてたんですね・・・。

2ヵ月後の81年10月。スカイラインにS20以来久しぶりのDOHC搭載モデル『RS』が追加
されます。2000cc4気筒で最高出力は150ps(グロス)と今思えばなんて事の無いパワー
ですが、機械式LSDが標準装備だったり、カムカバーが結晶塗装で赤く塗られていたりと
とにかく久しぶりに『やる気』を感じさせるスカイラインの登場でした。

83年2月には2000RSターボが追加されます。最高出力は190psにまで上がり、『史上
最強のスカイライン』という宣伝文句と共についにサーキットへ復活。Gr.5規定に則った
スーパーシルエットは、エンジンも違えばボディもキャビン部分以外はパイプフレームで製作
された市販車とはまったく異なるクルマでしたが、赤/黒2トーンのスカイラインが走るという
だけで嬉しかったのを思い出します。

8月にR30はマイナーチェンジ。RSシリーズはグリルレス(通称鉄仮面)となり、84年2月
には2000ターボ・インタークーラーRSが追加されます。最高出力は205psとなり、国産車
で初めてリッター当たり100psを達成。パワーウォーズを激化させていくのでした。



これがインタークーラー付きのターボC。4ドアってのがシブいですね!
ちなみにワタシ、R30に乗るのなら前期型ならガンメタ/黒の4ドアRS。鉄仮面ならこの
白のターボC4ドアだと小学生の頃から決めておりました!





バブルに向かって一直線の85年8月。スカイラインは7代目のR31へ進化します。

今思えば何だったのか、クルマ業界はハイソカーブームの真っ只中。
GX71マークⅡがバカ売れの中、『硬派』がウリだったハズのスカイラインも思い切り方向
転換をします。
『性能は都市工学です』『ソフトマシーン』を宣伝文句に発表されたR31は2ドアボディを
持たず、4ドアハードトップとセダンの2本立て。6気筒エンジンはハコスカ以来使い続けた
L型ユニットに別れを告げて新開発のRBユニットを採用。
シングルカムNAのRB20E・シングルカムターボのRB20ET・ツインカムNAのRB20DE
とエンジンバリエーションも何でもアリ。最高峰のツインカムターボRB20DETは、R30の
FJユニットを凌ぐ210PS(グロス)を発生させます。
4輪操舵のHICAS・オートライトにオートワイパー・6連装カセットチェンジャー(笑)と装備も
至れりつくせりでしたが、世の中のスカイラインファンからは非難が相次ぎました。
今までの歴史から見たら『ソフトマシーンとは何ぞや!?』となるのも良く判ります。
マークⅡとスカイラインがライバル同士であった事に間違いはありませんでしたが、日産には
スカイラインと兄弟車と言っても良いローレルがありました。ちょっと大人な雰囲気のローレル
ではマークⅡに対応出来ないとの判断だったのでしょうが、ハイソカーを狙いつつ、スポーツ
路線も捨て切れなかったスカイラインは、結局何ともいえない中途半端なキャラクターとなって
しまったんですね・・・。

86年1月にワゴンを追加後(日本初のターボワゴンだったそうです)、5月に慌てて2ドア
クーペを追加。GTオートスポイラーが話題となりましたが、エンジン出力表記がネット表示
に変わり、グロス210PSのRB20DETは180PSと表示される事になったのも手伝って
失ったスポーツ性はイマイチ盛り上がらず・・・。


87年8月。マイナーチェンジを機に、ついにR31にホットモデルが追加されます。



これがその800台限定で生産されたGTS-R。

Gr.A参戦のためのホモロゲーションモデルだったGTS-Rは、カタログに『ファミリーユース
としてお使いになるとしたら購入はお控え願いたい』と書いてしまったほどの超硬派モデル。
専用のRB20DET-RユニットはRB20DETをベースにギャレット製T04Eタービン・大容量
インタークーラー・ステンの等長エキマニを追加し、フライホイールも軽量化。ネット210PSを
達成します。確かに速かった様ですが、下スッカスカのドッカンターボでとにかく乗り難かった
との話を聞きますね(汗)
固定式のチンスポ・大きなリヤスポイラー・国産車初だったプロジェクターヘッドランプを採用し
ミッションは当然5MTのみ。87年から参戦したGr.Aでは、当時敵無しだったフォードシエラ
RS500と戦います。89年には何とかドライバーズチャンピオンに輝くものの、結局あまり
『勝った!』という印象は持てませんでしたね・・・。





そして89年5月。今でも名車として語り継がれるR32スカイラインがデビューします。

先代R31は3年9ヶ月の短命で終わり、ハイソカーブームに乗って失敗した反省を踏まえて
本来の『走り』を重視したR32は大胆にシェイプアップ。伝統となっていたストラット/セミトレ
の足回りは前後マルチリンク式に一新され、エンジン形式こそR31と変わらないRB20DET
も、基準車でも215PSを発生し、通称『赤ヘッド』と呼ばれたR31のそれとはまったく別モノ。

後に続くR32以降のスカイラインが、ボディサイズこそ変われど一貫して『スポーツセダン』
となり、昔の様な『上級セダン』的な味付けをすることが無くなった事を考えると、R31→R32
のモデルチェンジはスカイラインの歴史上大きな変化点だったと言えるでしょう。

そしてR32スカイライン最大の話題は、何と言っても16年振りに復活したGT-R。
他メーカーが安易に『GT-R』というグレード名を使うのを横目に見ながら、ひたすらガマンを
続けた日産がついに出したGT-Rは、やはりタダモノではありませんでした。



とてもキレイな極初期モノのBNR32 GT-R。やっぱりR32といえばこのガンメタでしょう!

余談ですが前期型GT-Rのドアはサイドドアビームが無いため、後期型より5キロ程軽い
ため、中古市場で人気があるそうな・・・。

Gr.Aで勝つ事を前提に作られたGT-Rは、歴代スカイラインがこだわり続けた2Lエンジン
と決別し、駆動方式もアテーサE-TSと呼ばれるトルクスプリット4WD。
タイヤ&ホイール幅が制限されるGr.Aでは4WDの方が有利であり、歴代Gr.A優勝車のパ
ワーウェイトレシオから算出された『勝つため』の仮想パワーウェイトレシオを達成するためには
4WD化で増大した重量には2Lエンジンでは役不足だと判断され、レギュレーション上有利な
2.6Lツインターボが採用されたとか・・・。

第1期GT-Rとはあまりにもかけ離れたハイテク武装のGT-Rを『邪道だ!』という声も少なく
ありませんでしたが、ホモロゲモデルのGT-R NISMOが追加され、Gr.Aに参戦する頃には
そんな声も次第にトーンダウン。

90年3月のGr.Aデビュー戦では、宿敵フォードシエラを予選でいきなり1秒以上もブッチギリ
本戦でも2台のGT-Rが1・2フィニッシュ。
91年の最終戦以降ディビジョン1はGT-Rのワンメイクレースとなり、93年のGr.A終了まで
無敗の29連勝を達成。全戦ポールtoウィンでまさにツーリングカーの王者に君臨したのでした。





BNR32がGr.Aで快進撃を続けていた93年8月。スカイラインはR33型へとモデルチェンジ
を行います。

全車3ナンバーボディとなったR33では、ついに4気筒モデルが消滅し、最小排気量が2Lに。
2.5Lが標準的なエンジンとなり、スカイラインはまた肥大化してしまいます。
R32はセダンのリヤ席&トランクスペースがあまりにも小さく不評だったための対処でしたが、
セダンの肥大化に伴い2ドアクーペまで大きくなる事に。当時『R33クーペのドアは世界最大
のドアだ!』なんてウワサがありましたが、あれホントだったんですかね(笑)

95年1月にはR33にもGT-Rが追加されます。

Gr.A規定が消滅してしまったため、もはや2.6Lである必要は無くなってしまいましたが、
GT-RはRB26DETTエンジンを継続。最高出力は自主規制値の280PSで変化はあり
ませんでしたが、CPUの進化(8ビット→16ビット)等で最大トルクはBNR32の36kg-m
から37.5kg-mへ増大。R32で熟成させたスーパーHICASはヨーレイトフィードバック
制御を加えた電動スーパーHICASへ進化。BNR32のアキレス腱と呼ばれ、Gr.A3連覇
を記念して追加されたVスペックに採用されたブレンボキャリパーもBCNR33は全車標準。

大きく重くなったボディを感じさせないほど進化したGT-Rはスーパー耐久やGT選手権で
活躍し、小変更や追加車を繰り返した後、97年2月にマイナーチェンジ。



展示車両はバンパーダクトが追加され、キセノンヘッドランプとなった後期型のBCNR33。

またまた余談ですが、先代のR32・次期型のR34もGT-Rの型式が『BNR3*』なのに、
R33だけなぜか『BCNR33』と『C』の記号が入っていた理由がやっと最近判りました!
『B』は搭載エンジンがRB26である事を表しているのは全車共通なのですが、R32・34
では『N』で4WD+4輪操舵を表していたのに対し、R33だけは4WDの非HICAS装着車
があったため、『C』=4輪操舵・『N』=4WDで『BCNR』となったそうな。

あり・・・?R34のGTS-4ってHICAS付きだったっけ?もう1度じっくり調べてみます(涙)





98年5月。スカイラインは10代目となるR34型へモデルチェンジを行います。

またも肥大化して不評だったR33の反省を踏まえてホイールベースを55mm短縮。
『ボディは力だ!』をキャッチフレーズにするほどボディ剛性にこだわったR34は、基準車でも
BCNR33を上回るほど強靭なボディを手に入れ、ついに基準車のRB25DETでも自主規制
の280PSを達成。スポーツ性能に重点を置いたR34は往年のファンにも比較的温かく迎え
入れられましたが、ウェッジシェイプの効き過ぎたボディは、普通の人にはちょっとエグ過ぎた
様な気もします(笑)

99年1月にはGT-Rを追加。ボールベアリングタービンを使い過給圧の上がったRB26DETT
は最大トルク40kg-mとついに大台に突入。ミッションはゲトラグ製の6MTとなり、Vスペックは
車体下部にディフューザーを装備する等、出来る事はすべてやったと思われる最強のGT-Rと
なります。

2001年3月。長年スカイラインを生産して来た村山工場がついに操業停止に。
GT-Rを含めたスカイラインもこれ以降は栃木工場で生産される事になってしまいます。

5月にGT-RにMスペックが登場。従来のVスペックが速さを追求していたのに対し、GTカー
としての方向性を強めた新グレードです。手縫いの本皮シートやリップルコントロールショック
アブソーバーを採用したGT-Rでしたが、個人的には『本来のGT-Rとはちょっと方向性が
違うんじゃないかなぁ』と少なからず違和感を覚えました。

02年1月にはBNR32以降GT-Rを育てたニュルブルクリンクサーキットの名前を冠した
VスペックNur・MスペックNurを1000台限定で発売。600万円以上する高価なクルマでしたが
発売日に即日完売となりました。



展示車はMスペックNur。当然ボディ色はNur専用色のミレニアムジェイドです。

Nurが基準車と大きく違うのはエンジン。N1仕様のエンジンをベースとしており、コンロッド・
ブロック・ピストン等もN1専用の強化品。バランス取りしたNur専用エンジンのヘッドカバーは
ゴールドに塗られ、まさに最強のRB26DETTです。そういえば300km/h表示フルスケール
メーターも装着されてましたね。

8月に排ガス規制によってついにGT-Rは生産中止に。第2期GT-Rの歴史に終止符を
打ちました。





01年6月には11代目となるV35スカイラインがデビュー。

スカイライン廃止のウワサの中で発売されたスカイラインでしたが、今までのスカイラインとは
生い立ちからまったく異なり、スカイラインとはまったく別のクルマとして開発されたクルマに
スカイラインの名前を付けただけのクルマでした。
直6エンジンの代わりにV6エンジンが載せられ、丸テールもサーフィンラインも無ければ当初
はMT車の設定も無し。それらの要素はスカイラインというクルマのあり方を束縛するだけに
なっていたのかも知れませんが、やはり市場にそのクルマをスカイラインと認識させるには
いささか無理があった様です。
後にクーペが追加されMTモデルも加わり、いつの間にか丸テールも復活しましたが、GT-R
は最後まで復活せず。V35がサーキットを走る事もありませんでした。

現在スカイラインはV35を正常進化させた様なV36型へとシフトしています。


本来ファミリーカーだったスカイラインがいつしかスポーツセダンとなり、V35でまた方向性が
変わった。すごーく真面目に設計され、でもどこか不良っぽい雰囲気がするというのが今まで
のスカイラインのイメージでしたが、スカイラインも大人になりました。そう思う事にしました。

過去のイメージが忘れ去られる頃には、スカイラインがまた名車と呼ばれるクルマになっていて
欲しいと思います。このイメージチェンジが正しかったと思える日が来ると信じる事にしましょう。






途中無線LANのトラブル等もありましたが、結局この記事を書き始めて今日で1週間。
本当にスカイラインってのは重いクルマですねぇ(汗)

あーあ・・・。
ミニカーでゆっくり紐解こうと思っていたスカイラインの歴史を一気に書いちゃった・・・。
後半はさらりと書こうと思ってたのに、後半になるにしたがって文字が多くなってるし。
長過ぎて重過ぎて、もう自分で読み直すのもイヤだ。。。
休止中のミニカーシリーズは、もっと狭く深くじっくりと書く事にします。。。


すんげー長文になってしまいましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました!


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コメント 9

魔女

すさまじいですな。
スカイラインへの愛着と同時に怨念すら感じられそうな日記ですわ

細かい年式の確認くらいですか資料読んで無さそうな(キット読んでない)ところが
(明るい)オタク度全開で素敵です。

おれ、、エボでそんなに語れんよ。。
「なんか、、CP早くてカッコイイの」ってくらいだなぁ~
by 魔女 (2007-03-22 08:11) 

Akisan

らくだ氏
なげ~よ!とりあえずナナメ読みさせてもらいました。

BNR34ニュル、あれって未登録っぽいね。
栃木のラインから引っこ抜いてきたのかしらね。
BNR32も怪しいんだよなぁ。タイヤがライン品のRE71なんだよね。
デッドストックかな。

R31は衝撃的でした。カッコ悪くて。
私が高校生の頃、車に興味を持ち始めてから初めて出たスカイラインがR31。R30までは結構好きだったのに、どうデザインするとこんな不恰好なクルマが出来上がるんだろうと思いました。でもこれがスカイラインならそれもしょうがない、と免許もないのに自分を納得させてました。

V35とV36は・・・いいクルマだよね、きっと。
でも、先日うちの親父が言ってたのは、「あの丸いテールランプがカッコよかったのに、何であんな矢印みたいなデザインにしちゃったんだよ」って。
この一言、銀座の連中は胸に刻んでほしいね。スカイライン世代のヲジサンたちにとって、V系のクルマはもはやスカイラインではないということです。エンジンなんて、別に直6じゃなくてもいいのですよ。直6はBMWにやらせておけばいい。それ以外に大事なところがあるんじゃないの、ということですね。
by Akisan (2007-03-22 15:56) 

matsu

久しぶりにコメントさせていただきます!
ソネブロメンテ攻撃にも屈せず(笑)、読破させていただきました。

こうして流れを拝読していると、無数のターニングポイントがあって、試行錯誤の繰り返しもあったんだな、と感じました。
年齢からかどうしてもS20搭載車への思い入れが強くなってしまいますが、純粋さではそれ以降も負けないものを持っていますね。
特にBNR32はその印象が強まりました。
自宅近くの専門店にフルノーマル低走行のBNR32があってグラグラしていたのですが、この記事拝見して、それが煩悩に近い存在になっちゃいそうです。

また、GT-Rだけがスカイラインじゃない、ということも改めて実感できました。

さすが素晴らしい記事です!
でも、これ「浅く広く編」なんですよね。
ミニカーシリーズの「狭く深い編」も楽しみにしています。
by matsu (2007-03-23 18:37) 

Camel

魔女氏
いやー書いちゃいました(汗)
>細かい年式の確認くらいですか資料読んで無さそうな
さすがクサレ縁。ヲタクの頭には普段まったく使わない知識が詰まっている
ものですな。自分でもビックリです。。。

Akisan先輩
これでもかなりハショって書いたんですけどねぇ(笑)
Nurはノーマークでしたが、BNR32はちょっと気になってたんですよね。
西日に遮られてオドメーター確認が出来なかったのですが、確かに未登録
っぽい・・・。あれに今値段を付けるとしたらどのぐらいになるんでしょ。
小学生だったワタシはR31にダマされてました。純正OPTのBBS履いた
白の4ドアが妙にカッコ良く見えちゃって・・・。
>スカイライン世代のヲジサンたちにとって、V系のクルマはもはやスカイラ
>インではないということです。
そうなんですよね。あれはセフィーロなんですよ。スカイラインってのはもっと
不器用な存在で、ヤンマガ買おうとコンビニに寄っただけでも、周りからは
『セブンスター買ってこれから峠かな?』と見られちゃう様なクルマであって
欲しかったワケで・・・。
でもまぁ元々BMWをベンチマークとして育ったクルマでもあり、正常進化
だと思う事にしましょうよ。買おうとは思わないけれど・・・。

matsuさん
読破&コメントありがとうございます!
こうやって一気に振り返ってみると、やはりGT-Rというのは特別で異質
な存在なんだなぁと改めて感じます。どれも確固たる存在意義を持って
作られてきた歴史があるだけに、どーしても次期GT-Rには疑問を感じて
しまいます。ガッカリしないクルマであってくれれば嬉しいのですが、エボ
やインプと大差ないGT-Rは見たくないですよね・・・。
程度の良いBNR32を手に入れられる最後のチャンスかも知れませんよ!
内装バラしならいつでもご用命くださいませ(笑)
by Camel (2007-03-24 00:41) 

館長

こらこら! R34までのインライン。エンジンしか写真が無いじゃないの?V型は手抜きだねー。
 でも、この内容いけてますよ。なんかたまに雑誌で乗ってる「スカイラインのミニヒストリー」なんてのよりいいねえ。
 この最初のALSI、多分三田の屋上にあったんじゃ?
 さてここで、プレゼント話題。R31の固定式ではないほうの可動式のフロントスポイラーの命名ですが。最初は「リトラクタブル・スポイラー」の線が強そうだったのですが、オヤジでもイメージしやすいよう「GT.オートスポイラー」となりました。宣伝では 絶対「GT」を頭につけなければなりませんでした。
 さあ、あしたはスカイラインの実車で歴史を楽しみましょう。6時集合で。
by 館長 (2007-03-24 09:08) 

Camel

館長
館長に『いけてる』と言って頂けるとホッと安心します(笑)
GTオートスポイラーにはそんな裏話がありましたか!やはりあの時代でも
スカイラインにとって『GT』というのはまだまだ特別だったんですねぇ。
明日はGr.A仕様のGTS-Rも見れるかな?楽しみですね~♪
by Camel (2007-03-24 23:11) 

noric

いやぁ~凄いです。
by noric (2007-04-11 17:18) 

kotobuki1946

はじめまして、kotobukiと申します。
初代スカイライン、久しぶりに見させて頂きました。
私は2代目 GT-A/Bが好きです。
最近、所ジョージのおかげで人気が出た様ですが、改造されあげくは廃車されるのが心配です。
by kotobuki1946 (2009-03-01 07:34) 

Camel

>kotobukiさん
初めまして!コメントありがとうございます!

>私は2代目 GT-A/Bが好きです。

S50スカイラインって街中じゃ絶対に見かけないのに、旧車系のイベントに
行くと、良い感じにヤレた個体が必ず数台来てますよね!
もう自然淘汰され尽くした年代のクルマですし、これ以上個体数を減らす様
な事はして欲しくないものです・・・。
by Camel (2009-03-02 23:06) 

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